横田滋さん(87)の、めぐみさん救出にかける強い信念を家族が語った。
横田早紀江さん(84)「最後に主人に話をしたときに、これからは絶対に頑張るからね、大丈夫だからということも言いましたし、わたしが今度逝くときは忘れないで待っていてねと大きな声で言ったら、片目をちょっと開けてうっすらと涙を浮かべたような感じですね。そこからすっと眠るように亡くなっていきました。何も思い残すことがないほど、全身全霊打ち込んで頑張ったと思っています」
5日に亡くなった、拉致被害者・横田めぐみさんの父・滋さん。
最期を見送った妻・早紀江さんと2人の息子が9日、会見を開き、今の思いを語った。
横田早紀江さん「主人はぼくとつな人で、器用な方ではなかったのですが、本当にそのような中で自分の全身全霊を打ち込んで、まっすぐに正直に頑張れるところまで頑張ろうと、本当に頑張る強い人でしたので」
強い意志で、めぐみさんのために戦い続けた日々。
2020年3月、「それこそ“戦友”じゃないですけど、長い年月一緒にきて…」と、滋さんを“戦友”と呼んだ早紀江さん。
1977年にめぐみさんが拉致されて以来、43年間にわたって共に闘ってきた。
2012年に見せてくれた1週間のスケジュール帳には、公演やイベントの予定がびっしりと書き込まれていた。
横田早紀江さんは2012年、「もう過労、過労死になりそう」と話していた。
夫婦二人三脚での救出活動。
全国各地での講演会は、1,400回以上に及んでいる。
その姿を見てきた息子の拓也さん(51)は、ある日、父の体を案じたという。
息子・拓也さん「『週1回は予定を受けないとか決めないと、体を崩す』と、ものすごく生意気な口調で父に言って、そうしなきゃダメと何回も言った。(父は)『それはできない、行くんだ』と何回も言っていた。自分の命を削っても行くと決めていたのだと、いつも思っていた」
そして、時には家族に感情をあらわにしたことも。
息子・拓也さん「正直者で真面目で優しくて、でもとても強い大人であり、父だった。両親と家で話していたとき、わたしは子どもとして『金正日(キム・ジョンイル)氏が許せない』とお酒を飲みながら話したことがあるが、珍しく父は『そんなものでは済まされない』と言ったことがあった。普段、皆さんの前でそういうことを決して口にしないし、怒りの表情を見せない父は、わたしたちの何十倍も頭にきていて…それを皆さんにうまく伝えて、姉の救出を最優先するために闘っていたんだろう。とても強い父だった」
そうした強い覚悟で救出活動の先頭に立ってきた滋さん。
ひつぎには、大好きだった日本酒と、拉致被害者の生存と救出を願うブルーのリボン。
そして、胸元にはめぐみさんの写真が掲載された記事を添え見送ったという。
横田早紀江さん「写真を胸のところにおいてあげて、めぐみちゃんと一緒に、めぐみちゃんと会えなかったけれど、抱っこしていってね。必ず取り返すからねと…」
「必ず取り返す」。
亡き夫の思いを引き継いだ早紀江さん。
息子・哲也さん(51)「父が果たせなかったその思いを、遺志を、わたしたちが受け継いで結果を出すことこそが、墓前で帰ってきたよと報告することこそが、残された者の使命だと思う」
横田早紀江さん「私は体もだんだん弱ってきているので、どこまで頑張れるかはわからないけれど、力のある限り、子どもたちの力を借りながら、また支援者方の力を借りながら頑張っていきたい」
(2020/06/10)
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#拉致問題